1980年代後半 IMSA-GTPクラスを席巻した日産レースカー「GTP-ZX Turbo」
日産が開発したレースカ「GTP-ZX Turbo」
この車の開発が始まったのは1984年、北米において日産車のレース活動を担っていたエレクトラモーティブによって行われました。
当時、日本国内ではマーチのシャーシにVG30ET、後にVEJ30を搭載してレースを行っていましたが、IMSAにおいてはローラのシャーシに熟成の進んだVG30ETで参戦することを決定します。
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1985年には3台のローラ・T810シャーシが到着し、1986年シーズンに向けて開発が進められます。
これをベースに、エレクトラモーティブは狭いコースでの運動特性向上と、短距離レースにおけるパフォーマンス向上を目的に改良を行いました。
1987年末までには更に3台のT810シャーシが作成されています。しかしながらセンターモノコックについてはエレクトラモーティブが独自開発を並行して進め、1988年には5台分のオリジナルモノコックが用意されました。
エンジンはシングルターボのVG30で、1988年シーズンは57mm径のリストラクターを装着した状態で850馬力、翌年はリストラクター径が54mmまで縮小されながらも750馬力を発揮しています。
ギアボックスについてはヒューランド製の5速を選択しています。エンジンを含めた高い信頼性は、逆輸入?され、JSPCでも用いられたほどです。
ブレーキについては鋼鉄製のディスクにAP製の4ピストンキャリパーを組み合わせています。ホイールについてはBBSのセンターロック17インチとなっています。
熟成の進んだGTP-ZX Turboは新しいモノコックを得て戦闘力の高まった1988年にはドライバーズ・チャンピオンシップ、翌年には更にメイクスタイトルを含めて2冠を成し遂げる活躍を収めました。
その後、エレクトラモーティブはNPTI(Nissan Performance Technology Inc)と社名を改め、ル・マン24時間レースにもNISSANチームの一員として参戦しています。
その際にはNPTIが装着したグッドイヤータイヤの圧倒的なパフォーマンスや、燃料タンクの潜在的欠陥がNMEなどと共有されなかったなど様々な逸話も残しています。
1988年シーズンのIMSAのダイジェスト映像です。エレクトラモーティブを率いるドン・デベンドーフの名など、懐かしい名前と顔ぶれが多く登場します。